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 アイオーン


 この世に神あり仏あり。零落すれば魑魅魍魎。
 人の世などと誰が言った。あやかし達は夜を行く。
 何でもありなこの現世うつよ、あの世があっても不思議じゃあるめぇ。
 其を幽世とたれか呼ぶ。


 なーんてな、と鴆がうそぶく。
 妖銘酒をぐびりと呷り、昼間からほろ酔いの呈である。
 義兄弟の誼だと、相手をさせられているのは人間態のリクオである。
 何があったのやら、酒瓶を引っさげ本家を訪れた鴆を、無碍にすることなど出来るわけもなく。それでも人間たるもの二十歳前の飲酒は出来ぬと言い張り、あわや喧嘩になるかと思いきや、寸前で雪女が止めに入って険悪な空気は免れた。
「どしたのさ、鴆君」
 妥協案として雪女が淹れてくれた日本茶を啜り、控えめにリクオは問い掛けてみた。
「ただ、酒が飲みたくなったのさ」
 そう言って鴆はまたぐいと盃を傾ける。
 藍染に白抜きの着流しを粋に着こなし、畳にあぐらをかく鴆は悠然としていて、いつでもどこでも喀血しているようにはとても見えない。
「なあリクオ」
「ん」
「あの世ってぇのは、どんなところだと思うよ?」
 ぶは、と反射的に噴出しそうになったお茶をなんとか飲み下す。
 鴆が口に出すには、彼の口からどくどくと零れ落ちた生温かい血の記憶よりも現実感があって、リクオは眉を顰めた。
「鴆君」
 たしなめるような色が声に乗る。
 いつかくる必然だとしても、言葉に出すとそれを招き寄せてしまう気がした。これが言霊ってやつかなあ、と現実逃避気味に考える。
「お、悪ぃ悪ぃ、そんなつもりじゃなかったんだけどな」
 当の本人はというと、からからと笑うばかりである。
 そしてふ、と表情を改めると、
「俺はなあ、リクオ。あの世には桜があると思ってるんだよ」
 と言う。
 もはや若芽と散り残りの花びらがいくつかあるばかりの、初夏の風情漂うしだれ桜を見やる。
「桜ぁ見ながら酒飲んでよう」
 鴆は空になった盃に顔を顰めると、酒瓶を傾けた。
 一杯だけやらねぇか、と悪戯げな顔で言うので、慌てて首を振った。
「気長に待ってるから、いつかお前ェが来ることになったら」

 あの世で百鬼夜行に繰り出そうぜ、と、鴆は笑った。


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